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この話はもちろんながら、フィクションです。
その後しばらく「下北沢にいる」「ロンドンでメンバーを見た」などの情報が飛び交い、その行方が取りざたされたのであるが、いつしか人々の口にのぼらなくなった。そして、あのバンドのCDはビートルズやレッド・ツェッペリンのように世代を超えたクラシックとしてロックが好きな人の間に静かに定着したのである。 夕方、気分が幾分よくなり、僕はその時に一緒に横浜アリーナに行った友人と連絡を取り会うことにした。夜、巣鴨のとげぬ き地蔵の近くの飲み屋で僕が師匠と呼んでいる、日本のインディロックに詳しいその人と落ち合った。 「ギターウルフ、一位になったね」 「まさか数年前にはこんな事態、想像もつかなかったね」 「まあ、地道にライブハウスをツアーしていたのがようやく実を結んだって言うことかな」 「グリーンデイとか、オフスプリングスがいなくなったんで、アメリカの人たちもああいう音に飢えてたんだろうなあ」 「でも、すごいよね、英語じゃなくてアメリカで一位になるなんて」 「今更、日本でも大物扱いなんて、マスコミもずるいよね」 「そう、バッファロードーターにしても、コーネリアスにしても、向こうでブレイクしてからああいう扱いするんだもん。それまではアメリカに行った人なんて松田聖子とかドリカムくらいしか知らないくせに。『坂本九以来の全米一位 』とか騒ぐこと自体がずれているって感じだな」 「向こうに変に迎合したんじゃなくて、自分達の自由なああいうスタイルこそが、日本のオリジナリティーってことが分からないからさ」 という会話から始まり、なかなか本題に入らなかった。酔いがほどよくまわったところで、僕は本題を切り出した。 「で、あのバンドのことなんだけど・・・。どうしても上手く言えないんだよね。あの時のことが思い出せないっていうか、いろんなことがいっぺんに戻ってきて、どう言っても本当じゃないというか」 「やっぱり、会場のこととか音響のこととかことが避けられないでしょ」 「うーん、やっぱそうなっちゃうんだよね。だから、あんまり読んでないけど、あの後に出たライヴの絶賛記事は全然信用できなかった」 「演奏そのものは昔と変わんなかったけどね・・・あの音がね」 「観ていた場所にもよるのかもしれないけどさ」 「だからね、そのあとでライヴハウスのツアーをやる、って聞いたときは、ああ、やっぱりそうだなんだよなあって思った」 「アリーナでのモヤモヤが解消される感じ?」 「そう。だから・・・あんなふうになっちゃって」 「・・・こんなこと言っても仕方ないんだけど、あのバンドが続いていたら、どうなってたんだろうね」 そう、そんな事を言っても仕方がない。ジミ・ヘンドリックスが生きていたら、ジョン・レノンが生きていたら、カート・コバーンが生きていたら、HIDEが生きていたら・・・などなど。もう誰もどうすることも出来ない。だけど、あのバンドは死んだと決まったわけじゃない。
二日後、僕は夜行バスで京都に行った。今は地元に帰って制作活動をしている、もう一人の友人に会いに行った。日中は競馬場に行き、ダンスインザダークの仔がG1を勝ち、武幸四郎が初めて手にした栄冠を眺めていた。夜の鴨川べりは11月といっても、2メートルおきにカップルが座り、不良がたむろする毎度の光景だった。四条河原町の小さな飲み屋で飲み始めた。
「明日は奈良の大仏でも観ようかと思ってる」
「へえ。今日び、修学旅行生だって見に行きたがらないけど」 「でも長いこと観てないんだ。大仏。なんか見に行きたくなった」 「ところでさ・・・あの時のあのバンドは急にでかくなって、コントロールが出来なくなったんだろうな」 「仙台の中止騒ぎにしても、横アリの会場の不備も、音響の悪さも結局はそういうことに集約されるんだろうな」 「あの規模でスタンディングをやるっていうのは、バンドか周りの人のエゴなのかもしれないし」 「妥協しているんだか、自分達のやり方を貫いているんだかよく分からないな。だってどっちにもとれるじゃん、適正な規模でやれるはずがやらなかったのは妥協、あれだけの規模の会場でオールスタンディングをやるのは自分の意見を貫いている」 妥協や、矛盾やいろんなことがあったんだろう。急に大きくなったバンドゆえのひずみだったのかもしれない。東大寺の大仏殿にしても、万里の長城とかイスタンブールのブルーモスクにしてもその大きさに圧倒され、人間の崇高さみたいなもんを感じる建物だって、大工さんたちが崇高な意識を持って作ったわけじゃないだろう。そこにはいろんな利害とかエゴとか妥協とか苦役とかいろんなものが渦巻いているのだろう。残念だったのはその大きさに見合うものを見せてくれなかったからじゃないだろうか。 「U2のドームだってあんなに音は悪くなかったよな」 「それでいてあれだけのショウを見せてくれたんだからな」 「つまり、全てにおいておれたちが面倒見てやろうという気概があるかどうかだったんだよな、で、あのバンドにはそういう気概があってやってくれると思ったんだよ。それに、その時のバンドはどこに行くか分からないスリリングさがあったじゃない。本当にどっか行ちゃったけど」 「確かに、スリリングさはあったかもしれないし、気概はあったんだろうけど、結局会場のせいで冷静に観てしまうようになっちゃったんだよな」 「うーん、結局そこに戻っちゃうんだな。でもバンドの力量 の限界とは言いたくないし」 全然限界じゃなかった。あのバンドはもっとすごいものを見せてくれるはずだった。いくらでも、チャンスはある。今でも。だってまだまだ有名じゃなかったし、オリコン8位 でも周りで知っているやつなんていなかったし、アリーナ満員にしても知名度なかったし、もっともっとでかくなって日本中を制圧して欲しかった。「音楽好きの人たち」だけのバンドで終わって欲しくなかった。ちょうど、その境目があの時の横浜アリーナだったんだろう。それで、彼らなら立て直して来るだろうと僕は思っている。 だって "ダニー・ゴー" を歌ったバンドだよ。
振り返らず錆びた風は続くだろう/
ざらつくダニーかき鳴らしていくんだろう
翌日の夕方、僕は京都からの帰りの新幹線の中でずっと『ギヤ・ブルース』を聴いていた。東京に戻ったら何をしようか。もし、あの編集部の依頼が「そう言えばあんなバンドがあったな」とか言うノスタルジックな特集の中の一つだったら、断ってやろう。今だって転げまわっているんだ。僕もバンドも。 注意:しつこいようですが、この話はフィクションでして、実際の人物、バンドには一切関係がありませんし、登場人物の発言もおれの創作です。 注1: ノブユキさんがにゃーさんのページSomething For The Weekendに書いた、おれならこう書く!「モリッシー&マー日本武道館公演2003年11月12日」のことを指しています。ページ閉鎖のためリンクはずしました。 all text by ノブユキ
※取材協力:マーブルリヴァーさん、かずわん。 |